女性ドクターFAQ

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女性ドクターFAQ CASE01

自分の興味や生き方に合ったキャリアを
選択していかれることが最大の強み。

山口 さやか YAMAGUCHI SAYAKA

日本学術振興会特別研究員(RPD)

2006年横浜市立大学医学部卒業後、横浜市立大学附属市民総合医療センター研修医となる。
その後、慶應義塾大学整形外科専修医を経て、2016年慶應義塾大学大学院にて博士号取得。
2016年より学振研究員として慶應義塾大学先端研遺伝子制御部門に勤務。非常勤として、慶應義塾大学病院腫瘍センター骨転移外来をもつ。
大学院在学中に出産、長男の育児中。

女性として整形外科医になることに不安はありましたか?
また、整形外科医を目指された理由を聞かせてください。

バレエダンサーの怪我に関わる仕事に就きたく、大学入学時より整形外科志望でした。男らしい世界だという印象も強かったので、麻酔科と迷った時期もありましたが、初期研修医として整形外科診療に関わる中で気づいた手術の面白さが決め手となりました。
家庭を持つ将来を思い描いてはいなかったので、女性ならではのデメリットには考えが及びませんでした。

整形外科医になり、これまで関連病院はどこに勤務されましたか?
実際にそこでの研修はどうでしたか?

・ 大学病院 <初年度の12月まで>
整形外科医としてのスタートを切る時に、医師の負うべき責任の重さを先輩方の後ろ姿から直接学んだことは、得難い貴重な経験です。医学に対しては真摯に向き合い、患者さんには優しく誠実であるべく激務をこなす先生方に、外科医の姿勢を教えていただきました。
目の前の仕事をこなすことに只々必死でしたが、今でも大切な友人である同期の仲間と共に頑張った、思い出深い日々です。

・ 済生会横浜市南部病院 <2・3年目>
各臨床班の経験豊富な先生方が揃っており、学年も大きく離れていたので、外傷の手術の執刀や、慢性疾患に対する手術の助手など、チャンスを多くいただくことができました。二次救急までの外傷、上肢・下肢・脊椎・腫瘍など、三次救急以外の範囲をすべてバランスよく学べる環境でした。

整形外科の手術には腕力など体力がいるものもありますが、実際にはどうでしたか?

私は身長が低く、手も小さいうえ、腕力もありません。特に大変だと感じたのは、骨折の整復手技、ハンマー・ボーンソーなど重い手術機械の扱いでしたが、周囲に助けられながら試行錯誤する中、自分なりの工夫を見出し、慣れていきました。それでも、肩関節脱臼の整復などは難しく、自らの得手不得手は心得るべきだと思います。
しかし一方で、繊細な手技を求められる手術が案外多く存在し、細やかな気配りや緻密さも必要な資質です。整形外科というチームの中で、自分の特性を活かした役割を担うことができると考えます。

それぞれの先生が各臨床班に属され、違った形で、
整形外科の診療、研究、教育に従事されています。
その中でどのような医師像を目指されていますか?

大学や出張先で骨軟部腫瘍の治療に関わり、その時受けた衝撃から、大きな苦労もしてこなかった自分の人生にどんな意義を持たせれば良いのかと悩んだことを契機に、腫瘍の道を志すことに決めました。
現在は、以下のような仕事に携わっています。整形外科の診療は手術だけではありません。研究・保存療法も等しく重要です。家庭があり、長時間の勤務や緊急対応が難しいのであれば、このような分野での専門性を目指すという選択肢もあると思います。

・ 骨肉腫肺転移に関する基礎研究
大学院修了後、日本学術振興会(学振)のRPD(注)特別研究員として、基礎腫瘍学の研究室で勉強を続けています。研究テーマは、骨肉腫肺転移の治療抵抗性に関わる病態の解明です。
近年、がんに対する薬物療法は目覚ましい進歩を遂げ、治療の選択肢も豊富です。しかし骨軟部肉腫領域で、その恩恵に預かっている疾患は少なく、一因として、肉腫の複雑な病態が未解明のままとなっている点が挙げられます。
整形外科医が研究職に就いて基礎研究に専従するという進路は、そう多くありません。貴重なチャンスを活かし、骨肉腫で命を落とす患者さんが少しでも減るよう、将来に繋がる仕事をしなくてはならないと思っています。

・ 骨転移診療
「がんの骨転移=生命予後不良」ではなくなった今日、整形外科医の骨転移に対する積極的な関わりが求められています。しかし、その重要性が認知されるようになったのは、近年のことです。6年前に父親をがんで亡くしましたが、10年超の療養中、整形外科医が登場したことは一度もなく、他でもない私自身もそのことに何の疑問も抱きませんでした。
実際の診療に携わってみると、患者さんの役に立てる場面が多く、より広く定着させてゆくべき、将来性のある分野だと確信しています。自身の診療の質を向上させるのみならず、適切かつ安全な骨転移のマネージメントを何処でも受けられる社会を目指して、学術活動にも励みたいと思います。

皆さん、結婚と出産を経験されていますが、
仕事と両立するに当たって心がけられている事を教えてください。

たくさんのご迷惑をおかけしているにも関わらず、母親という役割に支障のない範囲で、医師としての私の居場所を作ってくださっている医局の先生方には深く感謝しております。先生方や家族の理解なくして、仕事を続けることはできません。
たった6年弱ですが、仕事と家庭の両立を目指して過ごしてきた毎日は容易なものではありませんでした。どこでも中途半端な自分へのもどかしさは、今でも抱えたままですが、少なくとも、物事を様々な側面から俯瞰してネガティブな因子と上手に付き合う術は身についたと思います。母親という役割を務める中で得た人間的な成長が、医師としての自身の糧になっていると感じ始めたことが大きいです。特に、患者さんやご家族と接する場において、その経験が役立っています。
私の母は専業主婦でした。家庭のことで一切手を抜かなった母の姿に近づけないことは苦しく、私はワーキングマザー向きの人間ではないかもしれません。私自身に後悔のないやり方で、母親として子どもにしっかり向き合うことが、当座の最優先課題です。しかし同時に、医師として果たすべき責務が脳裏を離れることはありません。骨軟部腫瘍をどうにかしたいという気持ちは、母親になったことで、より深くなったともいえます。
自信や将来の希望がなくなり、仕事を辞めるという選択肢しか眼前にない時期もありました。今でも常に効率は悪く、軌道に乗っているとは言い難い状況です。しかし、子供はやがて自分の手を離れます。十年、二十年先に患者さんの役に立てる人間でいられるよう、医師としての志は高く持ち、それに向かっていま出来ることを黙々と頑張っていくしかありません。そして、その生き方を容認してくださっている周囲の方にいつか恩返しがしたいです。

整形外科は男性が占める割合が他科に比べると多いですが、
その中で実際に感じたことを教えてください。

整形外科の女医さんたちは、各々が自分なりの生き方・働き方を模索して頑張っておられると思います。既成のロールモデルにとらわれず、独自の進路を開拓していかれるのは、女性が少ないからこそのメリットではないでしょうか。先輩方は男性が大半を占めますが、女性の進路について真剣に考えてくださることが多く、心に沁みます。

女性医師として慶應義塾大学の専攻医プログラムを選ぶメリットは?

教室の規模が大きく、先生方の専門分野も多岐にわたるので、自分の興味や生き方に合ったキャリアを能動的に選択していかれることだと思います。
また家庭の事情が生じる前の状況では、性別や出身大学によって扱いが異なることは全くなく、個々の能力と努力を公平に評価してくださる環境だと感じてきました。

将来を悩まれている女性研修医に一言

いまの日本で女性が進路を考える時、結婚・子育て・介護への懸念を避けて通ることはできません。しかし入局時の私は、家庭を持つ希望もなく、親の老後までには一人前になれているだろう、くらいのことしか考えていませんでした。従って、予定より大分早い時期に大問題に直面することとなった訳です。それでも、周りの力を沢山借りることが出来たおかげで、将来のために努力すべき方向性が見え隠れする段階には何とか到達しました。
物事の困難さは、当事者である自分だけでなく、周囲の環境、社会の在り方など複数の因子によって規定され、的確な予想を立てることは不可能です。男性の多い環境で女性が活躍していくことや、家庭と仕事の両立等は、その最たる例といえます。ですから、難しそうにみえる選択肢に対して、消極的になる必要はないというのが持論です。
人生に関わる意思決定の際には、リスクに対する算段よりも、大変なときに踏ん張れるモチベーションや土台を築いていかれるかどうかの見極めが重要だと考えます。
当教室でお世話になり、まだ10年ではありますが、最大の収穫は人との出会いです。家庭と仕事の間で逃げ出したいときに頑張ってこられたのは、病気と闘っている患者さんと目標としたい先生方の存在あればこそです。先輩・後輩問わず、心から尊敬できる人たちに沢山出会ってきました。様々な変局を経て一層、この環境に思い切って飛び込んだことは、自分にとって正しい判断であったと振り返ることができます。

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